何かを始めるのに年齢は関係ない。大人になってからの学びについて考える。

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高齢者とパソコン
高齢者とパソコン
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わたしは、60歳以上の方々を対象とした学びの場を担当しています。学びの中心はICT、つまりパソコンやインターネット、メールの使い方などについてお話していますが、最高齢は80歳を先日迎えた方もいらっしゃいます。

その80歳の女性と話すと「学ぶことに年齢は関係ない」とよく思います。今日は、わたしなりに考える大人の学びについて書いていこうと思います。

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「パソコン習うのにこの年でも大丈夫?」と言った当時75歳の彼女との会話。

当時、75歳の彼女と出会ったときから「こんな年(年齢)なのにパソコン習おうなんておかしいでしょ?」「こんなおばあさんなのに」と何度も何度も話しかけられました。

わたしはそのたびに「パソコンを始めるのに年齢制限はないですよ」と言っていたのですが、それでもその発言がなくなることはありませんでした。

そのとき、ふと思ったのです。

ふつう、パソコン教室といえば操作する内容がテキストになっていますよね。決められた分量の授業を決まった時間内に終える。そのためには流れに乗らなきゃいけない。その流れに付いていけないと感じておられるのではないかと。

そこで、授業の流れを変えてみることにしました。お伝えする内容を少なくして、作業時間を増やすことにしたのです。その作業もできるだけ「テキスト通り」ではなく、操作内容を説明したあとに「自由に」操作してもらうことにしたのです。

実は、自由って意外と難しいのです。それにあえて挑戦してもらう。

初めのうちは戸惑っていた彼女も、一旦操作を説明して結果を目にしているので、どうなればいいかというのがイメージできている。そのイメージに近づけるための操作、です。

この授業内容、彼女にとっては大当たりでした。

イメージに近づけるための操作。これは彼女に「達成感」をプレゼントしてくれました。

したいようにできた!この感覚。これが彼女の探求心を向上させました。

それからの彼女は、自宅で授業内容を復習し、自分なりの工夫を加え(過去のテキストを見直し応用する)、それを印刷して毎回の授業前に見せてくれるようになりました。

そんな彼女は、少女のようです。キラキラした笑顔です。
キラキラした笑顔を手に入れた彼女は、ますます「学び」にまい進しています。どんなことにも積極的に参加するようになり、「やったことがない」というグラウンドゴルフにさえ参加するようになったのです。

彼女を見ていると思うのです。大人の学びはこれだと。

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暮らしに必要がない。無くても困らない。だけど学びたい。

わたしたちにとって学びの場といえば学校。学校の学びは与えられる課題をこなし、力を蓄えていくものです。

でも、大人が学ぼうとするとき。高齢者と呼ばれる世代であればなおのこと、学びそのものを必要としないかもしれません。特にパソコンとなれば高齢者と呼ばれる世代には「必要か」と問われたら「別に必要じゃない」と答える人のほうが多いかもしれません。

でも、あえて「必要じゃないもの」を「学ぶ」。

今まで自分の暮らしの中に「なかったもの」を取り入れること、それが大人の学びではないかと彼女を見ているといつもそう思います。

そして、もうひとつ。

学んだら役に立つのではなく、学びを役に立つものにする。それが大人の学び

若いときにわたしはこう思っていました。これを勉強すれば自分の生活の役に立つ、と。そう、役に立つものという前提があって学んでいました。

ところが、事情があってどうしてもパソコンを使わざるを得ない状況になった。パソコンがまだ高価なものだった時代に、自分に大きな投資をしてパソコンを購入しました。

文字入力さえできなかった。当時はパソコン教室さえない。教えてもらえる場所もない。独学しか学ぶ方法がありませんでした。

この投資がまさかの発展を見せ、今こうしてパソコンの先生をやっています。パソコンの先生をやろうと思って投資をしたわけではなく、自分自身、そして家族のための投資でした。

わたしはこの経験から思うのです。わたしはまさかあの投資がこんな流れになるとは思ってはいませんでした。そして、この流れの中で「私と同じようにパソコンを習いたいのに習う場所がない人」と出会ったのです。

そのわたしなら、わたしの経験があればこのような思いを抱える人が集える場を作ることができるのではないかと。

そして、わたしはパソコンを教える先生になりました。

先生と呼ばれてはいますが、授業が終われば立場は逆転。お料理のこと、生活のこと、政治のこと、たくさん教えていただいています。

大人の学びとは探求すること

自分の体験から、役に立たせるために学ぶのではなくて、学んだことを役に立たせる。それができるのは教えている人ではなく、学んでいる自分自身なんだと知りました。

大人の学びとは、学んだことを役に立つものにするために自分自身で探求することだと思います。

大人の学びは自分で辞めることができます。そして続けることもできます。それも自分が決めること、決められるのです。

学ぶのに年齢は関係ない、です。年齢が学ぶ機会を奪うことはありません。もしかしたら、人より遅く感じるかもしれません。覚えられないと嘆くかもしれません。でも、学ぶことを辞めなければ少しずつでも蓄積されていきます。

覚えることではなく、慣れてほしい。初めはパソコンを壊しそうに思うかもしれませんが、徐々に慣れていき、どうすれば壊れずに操作できるかはきっと分かってきます。

忘れてしまうことだってあると思います。教室の生徒さんたちもよく「忘れた」と言います。ですが、忘れるということは一度は頭に入った、ということでもあります。それを思い出すのに少し時間がかかるかもしれませんが、それでも操作していれば思い出すことはできます。

もし忘れてしまっても、再挑戦すればいいのです。もう一度やってみてもらえばいいのです。

このことを伝え続けている、わたしの教室に通う生徒さんたちは「忘れてもいい」という私の言葉に勇気をもらったと言ってくれています。

もし忘れたとしてもテキストを見返しながら操作すれば「聞いたことある」「操作したことある」ということを思い出せると言ってくれます。

それでいい。それがいいとわたしは思います。それが大人の学びの場、ではないかと思います。

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