高齢者にとってITは不要なもの?いや、むしろ、高齢者だからこそ使ってほしい技術です

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高齢者にはITなんていらないでしょ?なんていう声に遭遇することがあります。そう言われる側の高齢者からも難しそうだから、恐いからやらないという声が聞こえることがあります。

確かに、インターネットを使ったやり取りは顔の見えないやり取り。
決して100%安全!安心!とは言えません。その事実は変わらない。だけど、最低限守ってほしいルールや危険の避け方などを知ってもらってからITを使うか使わないかを決めてもらっても遅くはない、と私自身は思います。

ITは「情報技術」を指す言葉。間にコミュニケーションの「C」が入るとICTとなる

このサイトの名前にある「ICT」という言葉。Information and Communication Technologyの略称なのですが、「IT」、情報技術にコミュニケーションを付け加えてあるには意味があるのです。IT技術が登場してインターネットやそれに接続できる端末、インターネットを介して利用できるサービスが次々と登場しています。そう、技術は日々進歩しています。

ところが、そのITという技術を使う人間側がその技術の進歩に追いついていない、という側面も併せ持っています。

例えば、一番語られるのは「文字だけのやり取りが生む軋轢」、よく聞く言葉と言えば「炎上」です。顔が見えないからこそ、文字に込める思いが間違って伝わらないように気を付けるべきところを、顔が見えないことをいいことに、文字を使って相手を攻撃する人がでてきたり、傷つけようとしたわけじゃないのに、うまく伝わらず誤解を招いたりということがあります。

顔を合わせて時間を共有しているはずのリアルな世界でも、うまく伝わらず誤解が生じることは多々あります。顔を見ていても、です。このことはマスメディアでも取り上げられる機会があるので、それらを目にしている人からすれば「インターネット=恐いもの」と捉えられてしまう。

マスメディアが取り上げるのは、危険を知らせようという思いがあるんだと思うこともありますが、反対の側面、こちらはほとんど取り上げられることはありません。

私の実体験から思う、危険の反対側にある「いいところ」について

このウェブサイト以外にも個人ブログを書いているのですが、そちらでは、私の書いた文章に「勇気が出た」とか「感動した」とか、言葉を投げかけてくれる「顔の見えない人」がいます。

逆もあります。誰かが書いた文章を読んで、心打たれたり、気付かされたり、なんだか救われたような気持ちになる、なんてことはよくあることです。

実は、私の娘は生後半年で特定疾患に認定される病気を患いました。聞いたこともないような病名でした。その闘病記というとおおげさですが、繋げたばかりのパソコン通信を使って、ホームページを作り公開していました。娘の病状は小学校に入るころ、お医者様からもう大丈夫でしょう、というお墨付きをいただくまでになりました。それまでの検査結果について、入院中のことなどを書いたものでしたが、それを読んだ見ず知らずの方々から何度も激励のっメッセージを頂きました。それはとてもとてもありがたく、辛くなるとそのメッセージを読んで気合い入れ直していました(笑)

お墨付きをいただいたことをホームページに載せると、「よく頑張ったね!」っていう労いのメッセージ。私たち家族以外にも娘の回復を喜んでくださる人がいる、それは闘病中の娘とそれを支える私たち家族にとってどれだけの勇気になったか分かりません。

つないだ分だけ料金がかかる「従量課金制」だったパソコン通信の時代に見ず知らずの私たち家族に向けて送られた温かいメッセージの数々。

顔が見えないし、誰が書いたか分からないから大丈夫でしょ?なんていう気軽な利用ができない時代だったから、なのでしょうか。世の中に配信される「言葉」はもっと人を思う温度があったし、ネットの向こうに自分と同じように人がいるんだと意識できる機会がたくさんあったように思います。

気軽に発信できるようになった今だからこそ、考えてほしい「言葉が持つ力」について

今、世の中にはたくさんの「言葉」が溢れています。数十年前まではホームページは専門知識が無ければ公開することすらできなかったのが、今ではパソコンやスマホを始めたばかりでも手軽に言葉を発信できる時代になりました。

たくさんの言葉が溢れている、だからこそ、自分が手に入れたい言葉を探すと検索で見つかる確率が上がっている。これってたぶん、ITが進歩したからこその恩恵。だけど、その恩恵を違った意味で使ってしまうと、人を攻撃する道具になってしまう。私はそれがとても哀しいと思っています。

例え技術がものすごい速さで向上していったとしても、それを使う私たちのコミュニケーションスキルやモラルが追い付いていかなければ、恩恵を恩恵として受け取れないと私は思います。

だからこそ、私は恐いところも話すし、危ないところも話します。世の中には楽しいだけ、楽なだけ、なんてことはないから。正直に話して、選択するための「情報」を伝えます。そして使うか使わないか、決めるのはご自身。

必要ないでしょ、と他人に言われたから、っていう選択の過程より、勉強してみたし、やってみたけど合わなかった、のほうがいいんじゃないかと思います。

私のところに来られる高齢者の中には「わたしには無理だからと言われた」と言いつつ、何か後ろ髪を引かれているような様子の方がいらっしゃいます。「授業だから」というある意味強制的な大前提でインターネットを体験してもらうと、「すごいね!」と嬉しそうな顔をされます。

そのあと、どうなると思いますか?

迷い方が変わるんです。どういうことかというと、迷う理由が自分の中に移るんです。他者から言われた、ではなく、ランニングコストとか危険性とか、ご自身のスキルとかになる。

これが私は大事だと思うんです。諦める理由を他人のせいにしないで、自分の中での決断で諦める、としたほうがその先に何かがあると思うんです。

例えば、ランニングコスト、これは毎月の支払いについて家族と相談し、費用対効果を考えて判断すればいいし、スキルについては基本操作はお伝えするので、何かに遭遇したらご自身でどうにかしようと抱え込まずに、すぐにやめる、戻る判断をしてもらえばいい。

分からないことは恥ずかしい?そんなことはない。その機会に遭遇するチャンスがなかっただけ

誰かに分からないことを聞くのはとても勇気がいることです。「そんなことも知らないの」と軽蔑されそうだという人もいます。私は、いつも生徒さんにこう言います。

「分からないことを聞くことは、分からないことがあると相手に伝えることになる。それを恥ずかしいと思わないでほしい。分からないこと、知らないことを分かる振り、知っている振りをするほうがずっとずっと恥ずかしい。」

「分からないと手を挙げることができるほうがずっとずっとカッコいい。それだけ話を聞こう、分かろうと思ってくれている姿勢の表れだし、もしかしたら同じことが分からないけれど手を挙げることができない人を助けてあげることにだってなるかもしれない。」

そのせいか、たまたまそういう面を持った方が集まっているクラスなのか、質問はバンバン出るし、反対に胸張って「分からん!」って言っちゃう人が居たり(これは笑いを取るためとも言える)、「先生、もう一回!」って大声で言っちゃう人もいるし。まあ、賑やかです。

ITというのは情報技術、そう、技術なんです。その技術を使うのは私たちと同じ人間です。そしてその技術を高めようと日々がんばっておられる技術者の方々も私たちと同じ人間。そのことを忘れないでほしいし、知ってほしいと思います。

まとめ。

私は操作技術や知識の習得は、車の運転に似ているな、と感じることが多々あります。

教習所で基本的な操作技術や知識を身につけ、晴れて免許を取得したら車を購入し、実際の道路を走る。ただし、生活圏内が人それぞれ異なるので、それに見合った操作技術や判断が必要になる。技術や知識は一般的なもの、それをどう自分の生活圏内に取り入れるかは自分次第。操作技術に自信がないなら、たとえ遠回りでも安全な道を選べばいいと思うし、早く遠くへ行きたければ道路の状況を調べ、自分なりの道のりを走ればいい。人から道を教えられても、無理だと感じたら、自分が考える最良の道を選べばいい。

選択し、判断するのはご自身です。そして、使うと決めても、使わないと決めてもそれはご自身の決断。自分の責任です。

くれぐれも100%はあり得ないということをきちんと理解し、選択・判断をしてほしいと思います。

今日は真面目に書いちゃいましたね。必要ないかどうかは人が決めるものではなく、自分で決めるものです。決めるための知識をお伝えしたり、体験の機会を設けたり、それが私の講師としての仕事、役割だと思っています。

記事下
高齢者対象のパソコン教室の先生

今日もお読みいただきありがとうございます。
お問い合わせ、ご質問などはお問い合わせより承っております。
この記事を書いている人に関することは本サイト「高齢者のためのICT教室」についてに書かせていただいております。

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