高齢者対象のパソコン教室の先生をしているというと高齢者にパソコンを教えるのは大変でしょう、とよく言われます。親に教えるだけでも大変なのにとも言われます。
結論から言えば、「教える」というもの自体が難しいとは思います。ですが、それは受講する人の年齢に左右されるのではなく、あくまでも「教える」ことが難しいのです。
「覚えられない」のは「手順を」覚えようとしているから
そもそも、「教える」という形で皆さんの前に立ってはいますが、自分自身も初めからパソコン操作をささっとできたわけではありません。操作の手順が覚えられなくてイライラすることなんて常にありました。
そこで思ったんですね、覚えられないのはどうしようもないから他の手を使うことはできないかと。なぜなら、パソコン操作というのは手順ではないからです。
たとえば、はがき1枚に写真と文字を入れて印刷したいという目的をもったとします。
この「はがきに写真と文字を印刷する」という流れの中で作業を取り出してみると、
- はがきサイズの用紙設定をした画面を表示する
- 文字と写真を入れる
- 印刷設定をする
- 印刷する
の4つの作業です。
では、この作業に操作手順を加えてみるとどうなるかというと
- Wordを起動し、「ページレイアウト」からはがきサイズ、余白、印刷の向きを設定する
- 「挿入」から「図」でピクチャにある写真を選んで挿入する
- 文字を入力し、文字の大きさや形、色を変更する
- 「ファイル」から「印刷」で印刷設定をし、印刷して完了
となるわけです。
でも、1と4は操作手順はそれでいいけれど、2と3は、自分がどう写真を入れたいか、文字をどこに入れたいかによって逆の手順になることがあるのです。
そう、ここです。ここにパソコン操作習得への早道が隠れているのです。
ここで上の操作の流れを「手順」として「覚える」ことをしてしまうと、その手順では自分の思った通りにならないことがあるのがパソコン操作なのです。
上に書いた操作手順でうまくいくのは
こんな形のものです。
では、こんな形にしたいとなると
上の操作手順だけではうまくいきません。
上の操作手順の中にこの形にするための操作を加えてみると
- Wordを起動し、「ページレイアウト」からはがきサイズ、余白、印刷の向きを設定する
- 「挿入」から「図」でピクチャにある写真を選んで挿入する
- 挿入した写真のサイズを変更する
- 写真を「文字の折り返し」を使って「前面」に変更し、位置を調整する
- 3と4の操作を挿入したい写真の数だけ繰り返す
- 文字をテキストボックスで入力し、文字の大きさや形、色、枠の線を変更し、位置を調整する
- 「ファイル」から「印刷」で印刷設定をし、印刷して完了
赤字に示した操作が手順に加わります。これを手順として覚えるとなると、自分が作りたいものの数だけ手順として覚えなくてはいけなくなります。
これは効率が悪いですね。覚えるだけの経験数が必要になります。やはり覚えるにはそれなりに回数をこなさないと入ってきません。
「覚えられない」と口に出してしまうのは「自分は覚えられない」と暗示をかけてしまっているのかも
高齢者対象のパソコン教室で先生をしていると分かるのですが、自分が作りたいものの数だけ操作を覚えようとする人は必ず「覚えられない」という言葉を口にするようになります。
専門家じゃないのではっきりとしたことは言えないので、あくまでも印象としての話になりますが、「覚えられない」とよく口にする人は、自分が発した「覚えられない」という言葉を耳にして、「自分は覚えることができない」と暗示をかけているような気がするのです。
もしかしたら、「覚えられないから叱らないで」と自分を守るために口にしているのかもしれませんが…。
「どうしたら覚えられるのだろう」と口にする人は、メモの取り方を工夫したり、テキストを自分なりに整理したり、自分で課題を見つけて(家に来たチラシやはがき)やってみたりと、「覚えるための工夫」をされています。
工夫をするということは「考えている」ということです。
「覚える」にも「考える」力が必要
高齢者対象のパソコン教室の先生をしていて思うのは、パソコン操作というのは手順を覚える、またはメモしてそれを追いかけるより、どうやったら自分が思うようなものを作れるようになるのかと考えることのほうが操作の習得が早いということです。
そして、覚えられないという事実を口にするより、覚えられないからどうすれば忘れないようになるのか、忘れたとしても思い出せるようになるのかを考えられるほうが操作自体を習得するのが早くなるように思います。
考える力は鍛えられる
これは、この年齢だからというわけではありません。
わたし自身もまた、同じ経験があるからそう思うのです。パソコンを操作し始めたころは教室の皆さんと同じように、手順を覚えようとしていました。確かに、市販されているテキストやマニュアルは「この手順で行いなさい」と書かれているようなもの、でしたので、そのとおりにやればそこに示されているものは出来上がりました。
「欲」は「考える」力の元になることもある
ですが、操作に慣れてくると、この写真をもう少しこの位置に、とかもっと写真を入れたいといった「欲」が出てくるのです。このほうが読みやすいんじゃないか、このほうが見やすいんじゃないかと思うようになるのです。
すると、そのテキストやマニュアルに書かれている手順ではうまくいかなくなります。というより、そこに書かれている操作手順では足りなくなるのです。
そうなってくると、テキストやマニュアルからそれが実現できそうな手順を探す作業が加わります。どこだ、どこに書いてある?とページをめくります。
最初のころは書かれている操作手順のどれが、自分のやりたいことを実現する手順なのかがまったく分かりませんでした。そこからはトライ&エラーの繰り返しです。やってみては違う、これはどうだ?の繰り返しです。
わたしが持った「欲」を実現させるために必要だった力は「覚える」ではなく、「考える」と「探す」でした。
テキストは「考える」ため、「探す」ために重点を置いて作る。
この経験をもってして、わたしはパソコン教室の先生、パソコンインストラクターになりました。ですので、「覚える」ということにあまり価値を置いていません。
わたしのパソコン教室では、わたしが自分で作ったテキストを使っています。
そのテキストは、覚えるためのテキストではなく、「考える」ために「手順を端的に示す」こと、「探す」ために「実現できることを目立つように示す」ことに重点を置いたテキストです。
操作説明をできるだけ端的に示すことで「説明文を読む」ことをしないですむようにしています。読んでしまうと覚えなくてはいけないような感覚になるのではと考えたからです。
初めに「この形になるよ」と示した後、操作の流れを一緒に操作しながら進めます。一項目終わったら、テキストを見ながら操作を思い出せるように一緒に振り返ります。
よくテキストに「ポイント」と書いてあると思うのですが、それ自体を生徒さんに「決めて」もらいます。自分が「ん?」と思ったところや分かりづらいところに印をつけたり、書き加えてもらったりしています。
一項目ごとに振り返りますので、発問すれば答えが返ってきますし、質問もでやすいです。質問が出やすいのは操作したすぐあと、だからというのもありますが、質問しやすい教室づくりにも重点をおいた運営を心がけてもいます。
なので、一単元に込められる内容は通常のパソコン教室より少ないかもしれません。くわえて2週間に一度ですから、操作を忘れてしまっても仕方ありません。というより、忘れてしまう前提でこちらは準備をしています。
そして、「覚えられない」のではなくて「忘れた」だけだと。「忘れた」ときのためにテキストがある。忘れていたと思っていてもあるきっかけで「操作したことがある」「聞いたことがあるような気がする」と感じてもらえればいいのです。
それがいいんです。思い出せる、そのほうが価値があると思うのです、覚えるよりも。
そして思ったようにならなければ「元に戻す」を使えばいい。どこで元に戻せばいいのかという選択ができればいいのです。やってみてダメならどこまで戻すかが見極められればいいのです。
それができるのがパソコンの凄いところなんですから。
パソコンはあなたの行った操作を律義に覚えてくれているのです。それまであなたが担わなくてもいいのです。やってみて思ったようにならないのであれば元に戻せばいい。
そして、ここまでは完璧!と思ったのなら「名前を付けて保存」もしくは「上書き保存」です。
保存してもらえば、そこまでのことはパソコンも忘れてくれます。覚えていることがたくさんになればパソコンも疲れてしまうかもしれません。
ここまでは完璧だよ、と教えてあげる操作がこの「保存」だと思うのです。
そういうところをパソコンにお任せするとして、「どうしたいか」を考えることに集中すればいいのです。そして、パソコンに「これをやってみて」とマウスを使って伝えればいい。
パソコンはあなたに代わって考えることはできない。どうすればいいのかを考えることができるのは操作しているあなたです
パソコンは「どうしたいか」をあなたに代わって考えることはできないのです。
でも、あなたにはそれができる。どうやって操作してきたかということを覚えてくれるのがパソコンです(ソフトを終了したり操作手順を覚える量が増えると古い操作は忘れてしまいますが…)。
少し話がそれてしまいましたね。この話を教室でよく話すのですが、生徒さんから「先生はパソコンが大好きなんだね」と苦笑いされてしまいます。「名前付けてるんちゃうの?」とからかわれることもしばしば…(苦笑)。
もう少しだけ話が逸れてしまいますが、お付き合いいただける方はこのままお読みください。
考える力がつくと試さずにはいられない?それが習得への早道だった
わたしはパソコンを操作できるようになったことで自分のいる世界がぐんと広がりました。自分の世界が広がると今まで見えなかったことが見えるようになります。それは遠過ぎて見えないものもあったけれど、近過ぎて見えなかったこともあったのです。
今までこれは遠い世界のものだったもの、普段目にするチラシや町内会の案内文書、スーパーの店頭にある商品POP…。それらを自分が作るんだったらどんな手順になるのかな、とかどうやったらこれが作れるのかなと考える。
ひどいときはそのチラシを持ち帰って、Wordを開いて作ってみたこともあります(笑)
考える力が付くと試さずにはいられなくなります。考える力というのは年齢問わず鍛えることができるんじゃないかと思うのです。そう、記憶力、覚える力は低下したと感じることがあるかもしれないけれど、考える力は鍛えらえるんじゃないかと。
偉そうに書いていますが、何の根拠もありません。あくまでも教室運営をしていて感じたことをつらつらと書かせていただいています。
高齢者のパソコン操作習得への早道は「覚える」力ではなく「考える」力をつける、をまとめます
ただひとつ、最後に書いておきたいのが、考える力を鍛えるにはその「考える力を使う機会」が必要だということ。
機会は待っていてもやってはきません。自分の力を試す、じゃないですが、やってみたいと思うことを見つけるアンテナを持ち続けていただきたいと生徒さんによくお話をさせていただいています。
だからなのか、それとも教室に通う人たちがたまたまそういう方たちだったのかは分かりませんが、授業内容は生徒さんたちからの要望で決まっています。
なので、次は何がしたいと言われるか内心ビクビクしているのが正直なところです(笑)。
でも、確実に思うのは「考える力を使う機会」を持っている人のほうが操作習得が早いということ。火事場のなんとやらでないですが、やらされているうちは身につかないのが操作技術、です。
テキストを何度もやって覚えるのも大事ですが、自分がおもったものを作ってみるのが操作技術の習得の早道だとわたしは思います。
パソコン操作の習得は、操作手順を覚えるのではなく、作りたいものを作るために操作する、どうすると思うようになるのかな、と考える。この考える力をつけることが大事で、考えるには探す、調べる力をが必要、だと高齢者対象のパソコン教室の先生をしていて考えていることを書いてみました。
この記事を読んでくださった人の背中を少しだけでも押してあげられる記事になっていればと思いながら終わりたいと思います。